元首相、ヴァイオリン協奏曲に関する知識を遺憾なく披露 

「特集ワイド:小泉純一郎元首相、音楽を語る」(毎日jp)

<<そうね。サンサーンスの3番バイオリン協奏曲が有名なんだけどさ、その1番、2番がいいんだ。発見したんだよ>>

さすがである。

1番はサン=サーンス23歳の頃の12分程の短い協奏曲だが、美しい旋律、爽やかで伸びやかな感趣に満ちた、魅力的な作品である。


サン=サーンス:協奏曲1番、3番、ハバネラ、ロンカプ / チョン・キョンファ
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元首相に関する過去の関連記事


「ハイフェッツを聴いて自分の下手さ加減にがっかりした」経験を持つ、最近いよいよ存在感を増すあの超大物議員とは・・・? 

ヤッシャ・ハイフェッツと自らの腕前を比べて、堂々と落胆する。

畏れ多くてそんな事、並みのおけいこニストにできるはずがない。

せいぜい、発表会かコンクールで、パキパキ弾く同年代のハイパー・おけいこニストの演奏を見て落胆する程度が、凡人「ヴァイオリンかじった」君の姿であるはずだ。

さすが「政界の百獣の王」だけあって、同じ「ヴァイオリンかじった」君でも、かじり方が豪快なのか? それとも単なる大言壮語に過ぎぬのか。

政界再編の動きが活発化しつつある永田町。

表面はとぼけながら、ひときわ存在感を増しつつあるあの超大物議員が、5月12日に本を出す。

「音楽遍歴」(小泉純一郎著)

何と音楽書。しかもヴァイオリンのことをかなり書いている。目次を見れば一目瞭然だ。

 クラシックとの出会い

 ヴァイオリンを始めた十二歳

 最初に手掛けたのは「おもちゃの行進曲」

 「なんてきれいな曲なんだ」

 何回も聴いて良さがわかるのがクラシック音楽

 ブラームスはわからなかった

 驚くべき才能の持ち主パガニーニ

 モーツァルトで百人一首

 ハイフェッツを聴いて自分のへたさかげんにがっかり

 バッハとヴィターリの「シャコンヌ」

 フィンランドの風景と合致しているシベリウス・・・
 
このブログでもかつて、小泉氏がポーランド音楽、とりわけリピンスキのファンだという事実を紹介したことがあるが、かなりの「クラヲタ」である。しかも12歳からヴァイオリンをかじっただけあって、ヴァイオリン曲には相当詳しいようだ。

目次にヴィターリのシャコンヌなんかが出てくると、おけいこニストとしては大感激。あの華奢な体で髪振り乱して、まだまだ頑張るやんちゃなライオン君を抱きしめてあげたくなってくる。

憎まれにくい、ポピュラリティを得るという意味では、実に得なキャラである。野党はガブリと一口やられないように気をつけたほうがいい。


一時は読者が200万人近くにものぼったという、懐かしの小泉内閣メールマガジンの第6号(2001年7月19日付)に、以下のような記述を発見。

<<「音楽は詳しいよ!」

小泉純一郎です。

音楽を聴くのは昔から大好きです。聴くとほっとする。時間があれば、いろいろな音楽を聴いている。

ジャンルは問わない。ジャズやロックから歌謡曲。特にクラシックはよく聴く。バッハ、モーツァルト、ベートーベンはもちろん、ワーグナーやヴェルディのオペラ。ブルックナー、エルガー、シベリウスなどなど。

中学のオーケストラ・クラブでバイオリンをやっていた。あまりうまく弾けなかったが、今でも一番詳しいのはバイオリンの曲。

クラシックは、一度聴いたぐらいではなかなか良さはわからない、何回か聴くとわかってくる。同じ曲でも、指揮者やオーケストラによって全然違った曲に聴こえる。

私は、小泉内閣というオーケストラの指揮者だと思う。今はまだ序曲(プレリュード)の演奏中。これから、第一楽章、構造改革の具体策を打ち出したい。>>

結局フィナーレの第3楽章が未完に終わったので、今になって表舞台再登場。あるいは、アンコールに応えて、といったところか。

ついでに、サイレントヴァイオリンではあるが、弾いているお姿を。

特許庁でヴァイオリンを弾く小泉総理

シャーロック・ホームズとヴァイオリン(3)−「さあ、ヴァイオリンの国へ行こう」 

『赤毛連盟』にも、ヴァイオリンに関する記述が見られる。

条件は、21歳以上の心身健康な赤毛の男性であること。しかるべき場所に来て、決まった時間、「エンサイクロペディア・ブリタニカ」をAの項から順番に書き写す。それだけで、週4ポンドが支払われるという奇妙な仕事を始めた赤毛の質屋の主人の話から、ホームズは、とんでもない大事件の発生を推理。犯人逮捕へとつなげる。

その事件発生の前に、ホームズとワトスンは、あるヴァイオリニストのリサイタルに出かける。

パブロ・マルティン・メリトン・デ・サラサーテ・イ・ナバスクエス(1844年〜1908年)。まさにホームズの物語世界と同時代に活躍した、偉大なヴィルトゥオーゾのリサイタルである。

(以下、青空文庫(大久保ゆう訳)より引用。但し改行は適宜加えている。)

<<「今日の午後、聖(セント)ジェイムズ・ホールでサラサーテの演奏がある。」とホームズは言い出した。

「どうだろう、ワトソン。診察の方は二、三時間休めるか?」

「今日は一日あいている。私の仕事は常に暇なのでな。」

「帽子をかぶって、来たまえ。中心区(シティ)を通って行くつもりだから、途中で食事でも摂ろう。見たところ、このプログラムにはドイツの曲が多い。イタリアやフランスのものより、ドイツの方が僕の趣味に合う。ドイツの曲は内省的だ。僕も今、内省的になりたいから……さぁ、行こうか。」>>

グラナダテレビ製作のドラマシリーズでは、このドイツ物が、バッハ:無伴奏パルティータ第3番等の設定であったと思う。 

<<「さて、博士。僕たちの仕事は終わった。今度は気晴らしの時間だ。サンドウィッチとコーヒー一杯で一息つこう。それからヴァイオリンの国へ行くのだ。

そこは甘美と繊細さと調和のみがあふれている。そこへ行けば、赤毛の依頼者に難題をふっかけられて煩うこともなかろう。」>>

気晴らしと称してコンサートに通ったり、肘掛いすに腰掛けて、奇想的にヴァイオリンを掻き鳴らしたりする時、実はホームズは単に休息をしているのではなかった。そういう時のホームズこそ恐ろしい、という以下のワトスンの記述は、ホームズの人物分析として実に秀逸である。

<<友人、つまりホームズは熱心な音楽愛好家だった。また自身も有能な演奏家であり、類い希な作曲家でもあった。

午後はずっと劇場の一階特等席に座っていた。大きな幸せに浸り、音楽に合わせ、その長く細い指を静かに揺り動かしていた。

このときの静かな微笑やまどろんだまなざしは、容赦ないホームズ、鋭敏な機知でつけ狙うホームズ、猟犬のようなホームズ、疾風(はやて)の犯罪捜査官ホームズのそれとは、似つかぬものに思われたのだ。

ホームズの非凡な性格の中では、この二種の気質が交互に現れるのではないか、と時に私は思うことがある。

ホームズの極端な的確、機敏さは、時折ホームズの心を支配する詩的で瞑想的な気分に対する反動ではなかろうか。この気質の変動が、ホームズを極端なけだるさから飽くなき活力へと導くのだ。

そして、私がよく知っているよう幾日も立て続けに、肘掛椅子にゆったりともたれかかりながら、即興曲を作ったり古版本を読んだりしているときほど、ホームズが真に恐るべきときはない。

そして突然、追求欲が湧き起こって、あの見事な推理力が直感の高みまで昇りつめ、ついにホームズのやり方に疎(うと)い者でも、まるで仙人か何かのような知識を持っているのではないか、と不審の目で見るのである。

この日の午後も聖(セント)ジェイムズ・ホールで私は音楽に心酔しているホームズを見て、冒険の果てに捕らえられるべき犯人達にはやがて、凶事が舞い込むであろうと感じた。>>

シャーロック・ホームズとヴァイオリン(2)−ホームズはワトスンにメンデルスゾ−ンを弾いてあげた 

ホームズのヴァイオリンの腕前はどれほどのものだったのか。

シリーズ最初の長編『緋色の研究』(*注)で、ワトスンによるホームズの人物紹介にそれが出てくる。

ワトスンによれば、ホームズはかなりの難曲を弾きこなすほどの腕前であったという。時にはワトスンのリクエストに答えて、メンデルスゾーンの「歌の翼に」やワトスンのお気に入りの曲を弾いてくれた。

しかし、自分が好きなように弾く時は、曲らしい曲や聴き覚えのある旋律すら弾くことはなかった点が、他のホームズの嗜好や趣味と同様、特異なところであった。

肘掛け椅子にもたれて、目を閉じる。そして膝の上に立てかけたヴァイオリンをぞんざいに掻き鳴らす。

弦の音は時に朗々と、憂いを帯び、また夢見るようでもあり、喜び湛えることもあった。

それはホームズが今とらわれている思考を明らかに表すような音だったが、それが思索の助けとなるのか、単なる気まぐれな即興にすぎないのかは、判然としなかった。

そうした自分勝手の独奏にワトスンはいらいらしてくるのだが、ホームズはいつもきまって、まるで我慢の埋め合わせであるかのように、最後にワトスンのお気に入りの旋律を流麗に奏でて終わるのであった。

そうかと思うと、霧が立ち込め、どんよりと曇った朝。かかえる事件も陰鬱で、ワトスンもふさぎ込まずにはいられない時に、ホームズだけは何故だか気分上々で、クレモナのバイオリンや 、ストラデヴァリウスとアマティの違いについて、おしゃべりを続けることもあったという。

(*注)
『緋色の研究』というタイトルだが、原文は『A Study in Scarlet』。この Study の訳語には諸説ある。「研究」ではなく、文学や美術における習作・スケッチの意味に近いとして、「習作」とする翻訳もある。また、ホームズがヴァイオリン愛好家だった点を重視して、音楽における「習作」、つまり練習曲やエチュードがふさわしいとして、「エチュード」の訳語を採用する例もある。

シャーロック・ホームズとヴァイオリン(1)−名探偵はストラディヴァリウスを持っていた 

シャーロキアン(シャーロック・ホームズ愛好家)に限らずとも、この事は比較的よく知られている。

だから今更書くのは些か気が引けるのだが、あくまで「おけいこヴァイオリン」の視点から、少し取り上げてみようと思う。

本ブログの読者の中に、「シャーロキアン」とまではいかずとも、「シャーロック好きやん!」くらいには、ホームズ物を読み耽り、この名探偵がヴァイオリン弾きでもあったことに憧れ、自らもヴァイオリン修行を志した。そんな気高き動機を有するおけいこニストがいたのなら、心から脱帽したいと思う。

「ヴァイオリン名探偵」! −「ヴァイオリン議員」に比べ、何と夢のあるキャラクターであることか。

シャーロック・ホームズは、「ヴァイオリンかじっター」の域を優に超えたバリバリのアマチュア・ヴァイオリンプレーヤーであり、ヴァイオリンとヴァイオリン音楽の大いなる愛好家であった。

難曲も軽々と弾きこなし、自ら即興的に作曲もしたホームズにとって、ヴァイオリンは生活の一部であり、彼の精神生活とも密接不可分だった。

難事件の解決に忙殺される日々にあっても、楽器の話に夢中になったり、コンサートに通ったり。

そして彼は、ストラディヴァリウスを所有していた。

その楽器は、ユダヤ人の質屋から55シリングで買ったものだ。

ホームズの見立によれば、それは少なくとも500ギニーの値打ちがあるという。1ギニーは21シリング、500ギニーは10500シリングである。

これを現在の日本円に換算するならば、1000万円程度となろうか。*(注)

『ボール箱』という作品中で、ホームズは、食事中もヴァイオリンの話ばかりし、わずか数万円でそのストラディヴァリウスを手に入れたと、ワトスン博士に大いに自慢する。

やがて話題は奇才ニコロ・パガニーニへと及び、赤ワインを飲みながら、1時間もパガニーニの逸話を次から次へと話し続けたのである。


*(注)「青空文庫」の注釈によれば、1シリングは現在の日本円で約1200円の価値があるという。すると、10500シリングは約1260万円となる。

また、別の計算方法を使うと、金本位制の当時、1シリングは約0.54円。現在(2006年)の「(企業)物価指数」は1901年の1489倍。つまり当時の1円は、現在の約1500円の価値があったことになり、ここから計算すると、850万円となる。

ちなみに、『ヴァイオリン事典』(アルベルト・バックマン 1925年刊)によると、1900年におけるストラディヴァリウスの価格は4000ドル〜12500ドルであったという。

当時は1ドル=約2円で、前述した物価指数倍率の1489を掛ければ、これは約1200万円〜3750万円ということになる。

「長官! ベリオの協奏曲を弾いたことはありますか?」と会見で質問する元おけいこニスト記者がいたら楽しい 

日銀正副総裁の人事案問題で、激しく揺れる国会。

我らが愛すべき「おけいこニスト議長」は、ヴァイオリンどころではない毎日だろう。

さて、国会議員の隠れおけいこニスト的実態を究明する本ブログであるが、ここでまたもやスクープである。

「個人的にはUFOはいると思う」とか、「自分は稚拙な18歳だった」とか、時々水際立った個人的見解で耳目を集める内閣官房長官が、実は中途半端なヴァイオリン「かじり」虫であったというセンセーショナルな事実をつかんだのだ。

日比谷高校→東大経済学部→通産省→政界入りという華麗なる経歴の裏側には、エリートにありがちな「ヴァイオリンかじり」の悲しい過去があったのである。

ちなみに文部大臣だった頃には、金メダルをかじったことさえあるらしい。

以下は、1997年11月19日、衆議院文教委員会における町村信孝文部大臣(当時)の答弁である。学習塾に関する見解も述べているので、少々長くなるが全文を引用しよう。(太字強調はイグラーユによる。)

<<学習塾の問題というのは、今委員御指摘のように、現実に非常に多くの、約六割近い、中学三年になると七割近い子供たちが塾に通っているという実態を私どもは無視はできないだろう、こう思っております。それは、基本的には本人なり親なりがどう判断をするか。

もちろんこれは学習塾ばかりではなくて、いろいろなスポーツ教室もありましょう。あるいはいろいろなおけいこ、私も実は六年間もバイオリンをやりまして、一向に身につかなかったのでありますけれども、結構熱心に行ったものでありますがいろいろな、そういう多様な広い意味の教育の場というのがあるという実態を踏まえた上で、それがどういう役割を果たしていったらいいのか、どういうあり方がいいのかということを、今御指摘のとおり、生涯学習審議会に諮問をしたばかりでございますので、御検討をしていただこう、こう思っているわけであります。

特に学習塾について申し上げますと、うちの娘も確かに一年か二年か行ったのでしょうか、中学生のときに。やはり受験ということが間違いなくあるから行く。よく、これは本当にそうかどうかわかりませんが、学校はむしろ社交の場である、勉強は塾でするのだ、極端に言うとそういう話まで耳にいたしますと、本当にそれはいいのだろうかな、いささかこれは首をかしげざるを得ないなと思わざるを得ないのであります。

しかし、塾で勉強した方がわかりやすいしおもしろいしという話まで聞くと、これはある意味では学校の先生方ももう少し、まあいろいろ忙しいことはわかるのですけれども、自分たちの今までやってきた教え方というものが本当にいいのだろうかどうだろうかというあたりを、塾の先生に学べとはあえて言いませんが、やはりそういうノウハウというのはあるのでしょうから、そこでもし子供たちがより学校教育に魅力を感ずるようなことがあるならば、そこはもっと塾の皆さん方に学校の先生方もやはり学ぶべきものは学んでもらってもいいのかなと思います。

ただ、基本的に私は、さはさりながら、やはりこの今の過熱した受験戦争というものが子供たちの健全な発達上いいことかどうかと言われれば、それは理想を言うならば、願わくは、そういう受験戦争に特化した学習塾は私はない方がいいのだろう、こう思っております。できれば学校教育で全部それがカバーされている方がいいのだろうと思います。

ただ、そうはいっても一遍に世の中そう変えるわけにはまいりませんし、現実に各種の学習塾等々が果たしている役割というのも無視できないので、その辺をどう考えるか。余り私も今結論めいたものを持っているわけではございませんが、審議会などで幅広く御審議をいただきたいし、またでき得ればこの委員会などでも、ひとつ委員の先生方同士の率直な意見交換などもまた私どもに貴重な御示唆をいただけるものではなかろうか、こんなふうに考えているところでございます。>>

それにしても、6年に及びおけいこ歴は、年数から言えば「かじった」レヴェルを超え、本格派おけいこニストの範疇に入るだろう。5〜6歳から始めたと仮定すると、小学校高学年まで習っていたことになる。「学生音コン」小学校の部に出場できる年齢だ。

ご本人が述懐するように「一向に身につかない」が真実だったとしても、曲だけは先に進むのがおけいこの常だから、当時ベリオの協奏曲くらいは弾いたことがあるかもしれない。

立法と行政をリードする議長と長官の、意外なヴァイオリンつながり。

永田町の昨今の閉塞状況を打ち破るためにも、是非とも国会議事堂の赤じゅうたん上で共演し、二重奏をして頂きたいと思う。囲碁の対局では駄目なのだ。

幹事長も、前首相突然の辞意表明で日本中がずっこけた日、鬱陶しい気分をパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番を聞いて一掃したらしいのだから。

クラシック音楽の背景にあるものを英語で講じるヴァイオリニスト 

<<四月から七月にかけての春学期。ヴァイオリン曲にとどまらない西洋音楽や演奏の歴史を若い学生に講義する。授業はすべて英語。音楽の歴史を軸に音の広がりを理論的にとらえ、ビデオを観たりヴァイオリンやピアノで実演しながらクラシック音楽の面白さ、豊かさを語る。>>(渡辺玲子氏インタヴューより

ちょうどこの記事を書こうとした時、昨日の国際教養大学に関するエントリーを読んだ読者からメールを頂いた。

「スズキ・メソード」の2007年春の機関紙が、渡辺玲子氏を詳しく特集していた、ということであった。

内容の一部をお教え頂いたので、以下に引用したい。

<<教えるといっても、演奏技術ではない。秋田国際教養大学はコミュニケーション能力と豊かな教養、グローバルな専門知識を身につけることを目的に、各国から優秀な教授陣を集め、留学生も積極的に受け入れている。授業は全て英語だ。

そこで教えているのは、芸術論。引き受けるにあたって「自分が学生に伝えられることは何だろう」と考えた。長い伝統の中で、広く人に理解されるような、共通の理論と言語を持っていたから、クラシック音楽はここまで発展してきた。まずはそこがわからないと西洋音楽がどうしてここまで盛んになったかを、学生は理解できないのではないかというところに至る。

「音楽を専門としない学生たちを相手に、和声がどうなっているか、コードとコードの関係など、あまり専門的になり過ぎない範囲で、でも専門に近く教えています。背後には宗教的、哲学的なものも含んでいることも知ってほしいと、自分なりにやっていますが、なかなか準備が大変。でも聴く方も、作曲家、演奏家と一緒に音楽を作る、クリエイティブ・ワークの一つの役割を担っていることを自覚してもらいたい狙いもあります」

それらを「自分が演奏家であること」を中心におき、テーマに即した演奏も交えながら教えている。ストラディヴァリウスでの生演奏を目の前で聴けるという、なんとも贅沢な授業が繰り広げられているのだ。>>

英語版だが、「講義題目」が公開されている。プルースト、ショーペンハウエル、トルストイ・・・参考文献類が実に興味深い。

1981年に「第50回日本音コン」で最年少(15歳)第1位を獲得。翌年、東京芸大附属音楽高校に入学するが、2年生の時に独学することを決意し、中退。「大学入学資格検定」の勉強をしながら、ヴァイオリンの練習に打ち込む日常を自らに課した。

朝7時から正午までは、「大検」の勉強を自分でカリキュラムを組んで行った。主要5教科以外に、実技教科の勉強もある。午後は夜11時まで、食事の時間以外はすべてヴァイオリンの練習にあてた。

84年、18歳で「ヴィオッティ国際」第2位。翌85年、ジョセフ・フックスの推薦を受け、ジュリアード音楽院に全額奨学生として入学した。86年「パガニーニ国際」第2位。

日本の音高・音大という定番コースを歩まず、自ら独学の道を選び、ジュリアード音楽院へ。

「ソリスト」とは即ち、「自立した人間」の意味であることを、その烈々たる志の軌跡は指し示している。

このヴァイオリニストにして初めて、すべて英語による、音楽の背景にある歴史・文学・哲学・宗教にまでふれる、幅広くかつ深い、真に教養教育と呼びうる授業が成し得るのである。

「松本音楽院」の頃から、ヴァイオリンを片時も離したことはなかった 

<<終戦直後の小学校4年の冬からバイオリンを習い始めた。才能教育では決して早い年齢ではなかった。従兄がバイオリンを弾いていたことの影響もあって、母に連れられ鈴木鎮一先生の門をたたいた。当時は、才能教育の前身、松本音楽院が開設されて間もなくのころだ。>>(「私の半生」−信濃毎日新聞専売所WEBより

「スズキ・メソード」の一期生であった。豊田耕児氏のことを「耕ちゃん」と呼び、親しくしていた。鈴木家の土蔵の2階で、バッハの弾き方を教わった。

<<私はプロにこそならなかったが、今日までバイオリンを片時も離したことはない。>>(同上

新進気鋭の中国問題研究者であった1966年、文化大革命渦中の中国を訪れた。そこで、「革命」と呼ばれた事態の真実を目の当たりにする。

壁新聞の写真を撮っていたら、紅衛兵に追い回された。勇敢にも、紅衛兵の前で、即興的にヴァイオリンを弾いたことさえある。

映画「レッド・バイオリン」でも描かれていた文革下の中国。西欧音楽が敵視され、著名なヴァイオリニストも弾圧された苛酷な時代であった。

国際社会学者の中嶋嶺雄氏。現在、秋田県にある国際教養大学の学長を務める。

国際教養大学は、ほぼすべての授業を英語で行う。卒業要件として、最低1年間の海外留学が求められる。外国人教員比率は、日本の大学の中では第2位の高さである。

国際人を育てるために、妥協のない、真に実践的な教育をめざす。本質を究めようとする中嶋学長の烈々たる志と熱い想いが、大学のシステムとカリキュラムのあらゆる面で具現化されている。

この大学の「基盤教育」と呼ばれる教養課程の中に、中嶋学長のヴァイオリン体験をもとに企画されたと思われる、実にユニークな音楽教育のプログラムがある。

日本を代表するヴァイオリニストによる、演奏と講義による授業。授業は当然、英語で行われる。

その任にあたるのが、渡辺玲子特任准教授である。