「女王のレッスン室」−諦めないで 

これから進むべき道については、誰もが悩む。

夢はあった。今でもある。でも能力には限界がある。

究めていくことは苦しいことだ。そして苦しみの先が見えないから、なおさら苦しい。

自分ひとりで悩み、闘っていくことの辛さ。

ヴァイオリンをやめたいと言ってきた門下の中学生に。

「私だって、今までにヴァイオリンをやめたいと思ったことは何度もあります。その度に、小さい頃の演奏をテープで聴いてみた。

あの頃は、何も考えないで、ただ舞台で弾くことだけが楽しかった。

練習は苦しいもの。レッスンは厳しいもの。でも、あなたが、ステージでお客さんに向かって演奏することに、今でもまだ喜びを感じているのなら、ヴァイオリンをやめたらだめ。

とにかく我慢して続けなさい。

喜びを感じるものを簡単に諦めてはいけないわ。とにかく今は練習することよ。」

「演奏家になったり、オケに入ることだけが、音楽の道ではありません。

一生、ヴァイオリンを弾いていく。いつもヴァイオリンが自分のそばにあり、それを奏でることに喜びを感じ続けること。

  
だって音楽なのだから。


音を楽しみ続けよう。


それが最高にして唯一の到達点です。」

「女王のレッスン室」−罰として・・・ 

多くの生徒を抱える門下には、幼稚園児から音大生まで、実に幅広い年齢層の生徒たちがいます。

この世界では、年功序列はなし。

終身雇用も、「練習しなければ破門」のひと言で、一切保証されません。

先輩・後輩関係も、もちろん成立しない。

すべては技量しだい。うまいか、へたか、それだけです。

下級生が上級生よりもうまいのは、日常茶飯事。

音大生よりも小学生のほうがうまい、という唖然とする事実に遭遇することだってあります。

そのような厳しい実力の世界で、女王の逆鱗に触れてしまった音大生に与えられる、罰とは・・・

「あなたに言っておきます。

次のレッスンまでに、この曲を完全に仕上げて、必ず持ってくること。

もし、

持ってこなかった場合は、

持ってこなかった場合は・・・

罰として、


メリーさんの羊の前座をつとめてもらうわ。


思い知りなさい。」


(解釈):
この世界は実力主義だが、一応、門下生の発表会の演奏順は、幼稚園児→小学生・・・→音大生と、学年順に進行するのが通例。

一応、年功序列を慣習的にわずかに残しているこの発表会の演奏順において、「メリーさんの羊」を弾く園児の前座を務めさせられるということが一体何を意味するのか?

そしてさらに恐ろしいことに、

「メリ−さんの羊」のほうが、事実、うまかったりしたら・・・

「女王のレッスン室」−君、恋し。 

そろそろ分数楽器をフルサイズに買い換えようという時期。

だれだれさんのヴァイオリンや弓のお値段はおいくら、との噂・憶測が門下を駆け巡ります。

もちろんヴァイオリンの品質は、誰が製作したものかで異なり、概ねその点がヴァイオリンの評価を決めていきます。(同じ製作家の手によるものでも出来具合に違いはありますが。)

しかし、おけいこニストやその家族にとって、楽器の製作家やその骨董的価値に関する知識を十分に得ることは容易ではありません。

したがって、一番分かりやすいヴァイオリンの評価基準は「価格」ということになりがちです。(贋作・偽物・不良品などが多数存在するこの世界。必ずしも価格の高いものが、品質の良いものと決まっているわけではありませんが。)

100〜200万円のコンテンポラリーか、500万円のモダン近作か、それとも1000万円以上のモダン初期〜中期の著名作家ものか。

*注)あくまでも目安ですが、大体1820年以前のものを「オールド」、1820年頃〜1945年頃のものを「モダン」、それ以降を「コンテンポラリー」と呼ぶようです。ただし、1945年以前から活躍していた製作家が、1945年以降に作った楽器は、「モダン」と言うべきという意見もあります。

一般にもよくその名が知られたストラディヴァリ、グァルネリ・デル・ジェスなどの、軽く「億」越えの銘器は皆、「オールド」です。

「オールド」=「古い」→「古い」ものは何でもいい、と安易に信じてしまい、そういう固定観念で楽器店に行くのは、ネギをしょったカモ同然です。

気をつけましょう。

そして、結局は腕前。楽器は二の次です。腕の悪い人が、仮に手に入れた良い楽器で、いい音を出せると思ったら、それはちょっと違います。

さて、前置きが長くなりましたが、「女王のレッスン室」。

今日は、「どう落とす」シリーズの2回目です。


フルサイズのヴァイオリン購入に悩む親にひと言。

「1000万円、500万円、200万円。

それぞれでやはり、楽器の実力が違います。

そんなに大きく違いはないように思うかもしれませんが、やはり、弾きやすくて、今のお子さんの力量に、音色や音量面でのプラスを加える楽器となると、やはり値段なりのものとなります。

1000万円、500万円、200万円・・・

1000万円、500万円、200万円・・・


1000万円、500万円、200万円・・・。」


さて、どう落とす?

○こう落とす


1000万円、500万円、200万円


運命の分かれ道。


偽作・贋作・不良・欠陥。なんでもありは、ひとつもなし。


「お豆腐の厚さ単位で、札束が消えるかもしれない」マネーゲームはじめ!



*解釈 :
「テレビ探偵団」的ネタ。60〜70年代に、オリエンタル提供、のちにグリコ提供で放映された、夢路いとし・喜味こいし司会の買い物番組「がっちり買いましょう」。10万円・7万円・5万円の各コースごとに、スタジオ内の商品を買い物し、値段の近さを競う。上記は、この番組中で毎回展開された、夢路いとしの早口の前口上をもじったもの。

「お利口にグリコ」というスポンサー名の紹介文句も人気になった。

「女王のレッスン室」−そうだ、ガンバレ! 

前のレッスンが、終わるのを待つ。音大4年生。

来春、卒業。就職はしない。

将来に対する不安は、もちろん、ある。

目前で展開される幼稚園年少さんのレッスン。


「はい、じゃあ、もう一度最初から。

 行くわよ。


 はいっ、一と、二と。


 あれ、あれ、あれ。ちゃんと、入れなかったわね。

 もう一度、行くわよ。


 はいっ、一と、二と。


(先生、私は、少なくともヴァイオリンのトレーニングは積んでます。これで食べていけるかどうか、わかり ませんが。)

「女王のレッスン室」−ノー・プロデュース、全て自前 

時には、女王ご自身の、演奏家としての愚痴なども、出たりします。

それを聞くのも生徒のつとめ。というよりも、この世界の厳しさを知るための、勉強のひとつ。


「ああ、秋ね。秋だわ。お蕎麦がおいしい季節。

お蕎麦食べたいわ。お蕎麦・・・・

だけどね。

お蕎麦は「手打ち」に限るけれど、

自分が開くリサイタルがね、リサイタルが・・・・


リサイタルが「手打ち」というのは

本当に、本当に、悲しくて、虚しくて、やりきれない!



ということで、12月の私のリサイタルのチケットがあるんだけど・・・」


(はい、先生。20枚頂きます。)


*この種のリサイタルは、だいたいが、自前プロデュース。お客さん兼チケット売りさばき営業員は、門下生。ただし、正価で売れることは稀ですね。

「女王のレッスン室」−コンクール直前 

ピアノ合わせも先週終了し、今日は、コンクール2日前。

最後のレッスン。


「コンクールはあさってね。じゃあ、弾いてみて。」

女王は、目をつぶって、腕を組み、音に集中。

通して弾く。一度も、ストップかからず。

(やった、うまくいった。ノーミス。音程もはずさなかった。)

目が開く。

(たぶん、細かいところを、いくつか注意されるはず・・・)

ゆっくりと、ひと言。


「あなた、この曲、初見だった? 」


(せせせめて、「譜読み段階」くらいに留めて欲しかった。グスッ。)

「女王のレッスン室」−感嘆詞 

レッスン中に発せられる女王の感嘆詞。

ひとつずつ、よく聞いていると、だんだんある法則性があることに気づく。


ゲーーーッ!」

「デ?」

「ア〜〜ッ・・・」

「エ−−−−ッ!?」



(ヴァイオリンの弦は、低いほうから、G(ゲー)線・D(デー)線・A(アー)線・E(エー)線。女王は、感嘆詞までもが、弦の音に忠実だった。)

「女王のレッスン室」−No,ダメ,カンタービレ 

カンタービレ=「歌うように」。

ヴァイオリンで「歌う」−楽器から、人間の声のように美しい、はつらつとした音を「歌うように」奏でる。

これは、言うほど簡単ではありません。


「そこ、もっと、歌って。

歌いなさい。

まだ、足りない。

歌えてない!

ちゃんと歌いなさいってば。

ねえねえ。ちゃんと、歌いなさい。


さあ、歌って。歌って。歌え〜!


さて、どう落とす?

○こう落とす


歌え、歌え〜 歌江ねえちゃ〜ん。

うちら、妖気な、かしまし、むずめ(く)。



*(語義及び解釈 )

「むずめく」=「ぎしぎし音を立てる」。

ここは「歌える」どころか、何やら「妖気な」(女王のさらなる雷鳴を呼び起こしそうな、不吉な気配のある)ヴァイオリンのギイギイ音しか出せない生徒の悲哀を、かつて一世をふうびした、今年結成50周年の漫才トリオ「かしまし娘」(歌江ねえちゃんは長女で、三味線を弾いていた。次女照枝は出っ歯という身体的特徴を強調して笑いをとり、三女の花江は年増の歌江姉ちゃんを揶揄することで受けていた。)を持ち出すことによって洒落たもの。

典型的な、中高年世代受けを狙った、少々不細工なギャグと言わざるをえない。