思い当たるフシアワセ(14)コンクールでゴッツンコ。
コンクールでゴッツンコ。前の門下の先生とライバル。
この世界は案外狭いもの。コンクールに出場しようとするお子様の数は、さらに限られています。
従って、先生を変わったことがある方の場合、前の先生やその生徒さんとコンクール当日に鉢合わせすることもありえます。
いやーな雰囲気。特に、その先生との間で、辞める際にひと悶着あった場合はなおさらです。一瞬時間が止まって、その当時のゴタゴタのいちいちが、いきなり蘇ってくる・・・などということがあってはいけません。
この時間、この場所は、すべてコンクールのためのもの。過去の悪い思い出にひたったり、不義理を長々と謝ったりしている場合ではありません。
会ったのはあくまでも、たまたまなのです。前の先生には深々とお辞儀をして、そのまま無視されたらラッキー。話し掛けられたら、必要最小限で1分だけお相手。後は、「それではこれで失礼します」と言ってその場を去り、コンクールに集中です。
前の先生に師事し続けているライバルを殊更意識するのもいけません。むこうは「あの子だけには負けたくない」と思っているかもしれませんが、いちいち気にしていたらやってられません。
これから先、コンクールでは、かつてのライバル、以前にこのコンクールで勝った相手、別のコンクールで負けた相手など、顔見知りが目白押しです。「ゴタゴタの記憶」・「勝利の記憶」・「敗北の記憶」の数々を満載して、コンクールは毎年行われていくものと思い定めましょう。
この世界は案外狭いもの。コンクールに出場しようとするお子様の数は、さらに限られています。
従って、先生を変わったことがある方の場合、前の先生やその生徒さんとコンクール当日に鉢合わせすることもありえます。
いやーな雰囲気。特に、その先生との間で、辞める際にひと悶着あった場合はなおさらです。一瞬時間が止まって、その当時のゴタゴタのいちいちが、いきなり蘇ってくる・・・などということがあってはいけません。
この時間、この場所は、すべてコンクールのためのもの。過去の悪い思い出にひたったり、不義理を長々と謝ったりしている場合ではありません。
会ったのはあくまでも、たまたまなのです。前の先生には深々とお辞儀をして、そのまま無視されたらラッキー。話し掛けられたら、必要最小限で1分だけお相手。後は、「それではこれで失礼します」と言ってその場を去り、コンクールに集中です。
前の先生に師事し続けているライバルを殊更意識するのもいけません。むこうは「あの子だけには負けたくない」と思っているかもしれませんが、いちいち気にしていたらやってられません。
これから先、コンクールでは、かつてのライバル、以前にこのコンクールで勝った相手、別のコンクールで負けた相手など、顔見知りが目白押しです。「ゴタゴタの記憶」・「勝利の記憶」・「敗北の記憶」の数々を満載して、コンクールは毎年行われていくものと思い定めましょう。
- [2006/02/20 19:06]
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思い当たるフシアワセ(13)発表会はお正月!
ジーとバーも一緒に、みんなで楽しいお正月。
かわいいお孫様の発表会ともなれば、ジーとバーは何はともあれ駆けつけたい。お花とプレゼントを一杯持って。ふだんからレッスンにつきあい、発表会当日も気が気でない親に比べれば、ジーとバーは、一切責任がないから基本的に気楽。お子様にとっては、最大の応援団です。
ですから出番が来て、お子様が演奏しさえすれば、ジーとバーは大喝采・大絶賛です。彼らにとってみれば久しぶりに孫に会うのが第一の目的であって、演奏は二の次。かわいいドレスを着て、元気にヴァイオリンを弾く孫を見ることができただけで、もう大感動のメロメロなのです。
演奏後は、ミスったり、練習で直したところが全然できてなかったりすると、親は苦虫をかみつぶして、子供に文句を言いかねません。
しかし、やさしいジーとバーはそれを横目に、
「十分じゃないの。どこも悪くなかったわよ。」
「上手、上手。Aちゃんは誰よりも上手」
「終わったばっかりなのに、いきなりガミガミ言うなんて、いやなママだわよねえー。」
とお子さんを完全擁護。
発表会後は一緒にお食事。プレゼントをもらって、お食事をして、お子さんにとってはプチお正月が来たような幸せなひと時です。
発表会の観客動員の観点から言うと、ジーとバーに限らず、いとこやおじさん・おばさんなど親族関係の動員は、学校のお友達関係の動員と並んで、重要です。観てくれる人が多ければ多いほど、お子様ははりきります。
ただし、発表会には他の出演者もいます。お目当てがわが孫、わがお友達であるのはわかりますが、その子の演奏だけ聞いたら、すぐに客席を離れる。それも一族郎党、お友達仲間一斉にぞろぞろ、というのは少し考えものではないでしょうか。
その次に演奏するお子様は、ステージ横で出番を待っています。まとまった固まりが席を離れて、観客席が寂しくなっていく光景は、その子にどのような影響を与えるでしょうか。
発表会はお子様の晴れの舞台です。皆でその子を祝福してあげたいという気持ちはよくわかりますが、発表会は同時に勉強の場であり、また立派な演奏会です。出演者は、自分の出番以外では、他の人の演奏をしっかり聞くことを求められます。また、休憩が入るまでは、みだりに席を離れてはいけないのは演奏会の常識です。
わが孫、わがお友達だけではなく、他のお子様の演奏も休憩が入るまではきちんと聞く。そしてできればどのお子様にも盛大な拍手を送ってあげるよう心がけたいものです。
かわいいお孫様の発表会ともなれば、ジーとバーは何はともあれ駆けつけたい。お花とプレゼントを一杯持って。ふだんからレッスンにつきあい、発表会当日も気が気でない親に比べれば、ジーとバーは、一切責任がないから基本的に気楽。お子様にとっては、最大の応援団です。
ですから出番が来て、お子様が演奏しさえすれば、ジーとバーは大喝采・大絶賛です。彼らにとってみれば久しぶりに孫に会うのが第一の目的であって、演奏は二の次。かわいいドレスを着て、元気にヴァイオリンを弾く孫を見ることができただけで、もう大感動のメロメロなのです。
演奏後は、ミスったり、練習で直したところが全然できてなかったりすると、親は苦虫をかみつぶして、子供に文句を言いかねません。
しかし、やさしいジーとバーはそれを横目に、
「十分じゃないの。どこも悪くなかったわよ。」
「上手、上手。Aちゃんは誰よりも上手」
「終わったばっかりなのに、いきなりガミガミ言うなんて、いやなママだわよねえー。」
とお子さんを完全擁護。
発表会後は一緒にお食事。プレゼントをもらって、お食事をして、お子さんにとってはプチお正月が来たような幸せなひと時です。
発表会の観客動員の観点から言うと、ジーとバーに限らず、いとこやおじさん・おばさんなど親族関係の動員は、学校のお友達関係の動員と並んで、重要です。観てくれる人が多ければ多いほど、お子様ははりきります。
ただし、発表会には他の出演者もいます。お目当てがわが孫、わがお友達であるのはわかりますが、その子の演奏だけ聞いたら、すぐに客席を離れる。それも一族郎党、お友達仲間一斉にぞろぞろ、というのは少し考えものではないでしょうか。
その次に演奏するお子様は、ステージ横で出番を待っています。まとまった固まりが席を離れて、観客席が寂しくなっていく光景は、その子にどのような影響を与えるでしょうか。
発表会はお子様の晴れの舞台です。皆でその子を祝福してあげたいという気持ちはよくわかりますが、発表会は同時に勉強の場であり、また立派な演奏会です。出演者は、自分の出番以外では、他の人の演奏をしっかり聞くことを求められます。また、休憩が入るまでは、みだりに席を離れてはいけないのは演奏会の常識です。
わが孫、わがお友達だけではなく、他のお子様の演奏も休憩が入るまではきちんと聞く。そしてできればどのお子様にも盛大な拍手を送ってあげるよう心がけたいものです。
- [2006/02/16 23:45]
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思い当たるフシアワセ(12)ガッツポーズ
客席での極めて微妙なガッツポーズ。
本番の演奏を客席で聞いている親御様は、わが子が登場するまで、心臓はバクバク状態。
あなたは、次々と出てくる他の出場者の演奏がたいしたことないなあと感じる場合とか、満を持して登場したあなたのお子様が、出だしから他の出場者の方に負けない素晴らしい音を出した場合とかに、うれしさのあまり堪えきれなくなって、客席で、思わず微妙なガッツポーズをしてしまったという経験をお持ちではありませんか。
こぶしを握らずとも、「ウンウン、いいぞ」とうなずくとか、隣の方と「やったね!」などとアイコンタクトを取るとか。客席の後ろからですと、そういう微妙なガッツポーズは、とてもよく目立ちます。
コンクールの結果が吉と出るか、凶と出るかは、発表があるまでわかりません。ガッツポーズが、その後、天を仰ぐ悲嘆のポーズに大転換してしまうというフシアワセもありえます。
結果が出るまでは、ガッツポーズは心の中にだけにとどめておいて、静かに時を待つことにしたほうが良いのではないかと思います。
本番の演奏を客席で聞いている親御様は、わが子が登場するまで、心臓はバクバク状態。
あなたは、次々と出てくる他の出場者の演奏がたいしたことないなあと感じる場合とか、満を持して登場したあなたのお子様が、出だしから他の出場者の方に負けない素晴らしい音を出した場合とかに、うれしさのあまり堪えきれなくなって、客席で、思わず微妙なガッツポーズをしてしまったという経験をお持ちではありませんか。
こぶしを握らずとも、「ウンウン、いいぞ」とうなずくとか、隣の方と「やったね!」などとアイコンタクトを取るとか。客席の後ろからですと、そういう微妙なガッツポーズは、とてもよく目立ちます。
コンクールの結果が吉と出るか、凶と出るかは、発表があるまでわかりません。ガッツポーズが、その後、天を仰ぐ悲嘆のポーズに大転換してしまうというフシアワセもありえます。
結果が出るまでは、ガッツポーズは心の中にだけにとどめておいて、静かに時を待つことにしたほうが良いのではないかと思います。
- [2006/01/08 23:41]
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思い当たるフシアワセ(11)コンクールの顔見知り
顔見知りに思いっきりガン飛ばすわが子
コンクールへの挑戦も回を重ねてくると、参加者に顔見知りの親子が増えてきます。
「ああ、あの子だわ。「ああ、あのお母さんねえ。」 容姿・衣装・演奏・言動など様々な要素から記憶再生装置がスイッチオン。顔と名前が一致するためには、コンクールのプログラムや結果発表が手がかりになります。
こちらは「たしかどこかで見たことがある」くらいの記憶しかないのに、お相手は、こちらの顔と名前まで完全に把握している。ビデオ撮影OKの発表会やコンクールなどでこちらの演奏を完全録画。過去のもののコレクションさえあり、演奏へのコメント付で保存されている。ライバルリストに「要注意」などと書かれ、マークされている・・・。このような場合もあるかもしれません。
さて、親も子供も、顔見知りとなった次の段階は、言葉を交わすようになるのが通常の人間関係です。しかし、実力を競っている間柄同士。そこに親子で絡んでいるという特殊な事情もあって、仲良しになるのはかなり難しいことです。あいさつや何となくのお天気の話から導入し、双方の実力を暗黙に認め合う関係の中で、会話を継続させていく。そういう間柄になれればよいのですが。
つかず離れずで言葉を交わせる間柄は、コンクールという闘いの場とはいえ決してデメリットにはなりません。コンクールのささいな事務や運営面での疑問のあれこれについて、言葉を交し合える当事者の方がいれば、即、問題解決可能です。
ここで何よりも問われているのは親御様の大人としての成熟度です。
子供は純真ゆえ、本当は何も考えていないのですが、表面上何を考えているのかわからない不気味さを漂わせてしまいます。お相手のお子様が嫌な目付きでわが子を一瞥。わが子も何も考えず、その一瞥に反射的ににらみ返す。他意はまったくありませんが、雰囲気がよろしくありません。そこをうまく和ませるのが親御様の役割です。
「まあ、そのドレス素敵ですね。 お手製でいらっしゃいますか?」と笑顔でお相手のお母様に話しかけてみましょう。
コンクールへの挑戦も回を重ねてくると、参加者に顔見知りの親子が増えてきます。
「ああ、あの子だわ。「ああ、あのお母さんねえ。」 容姿・衣装・演奏・言動など様々な要素から記憶再生装置がスイッチオン。顔と名前が一致するためには、コンクールのプログラムや結果発表が手がかりになります。
こちらは「たしかどこかで見たことがある」くらいの記憶しかないのに、お相手は、こちらの顔と名前まで完全に把握している。ビデオ撮影OKの発表会やコンクールなどでこちらの演奏を完全録画。過去のもののコレクションさえあり、演奏へのコメント付で保存されている。ライバルリストに「要注意」などと書かれ、マークされている・・・。このような場合もあるかもしれません。
さて、親も子供も、顔見知りとなった次の段階は、言葉を交わすようになるのが通常の人間関係です。しかし、実力を競っている間柄同士。そこに親子で絡んでいるという特殊な事情もあって、仲良しになるのはかなり難しいことです。あいさつや何となくのお天気の話から導入し、双方の実力を暗黙に認め合う関係の中で、会話を継続させていく。そういう間柄になれればよいのですが。
つかず離れずで言葉を交わせる間柄は、コンクールという闘いの場とはいえ決してデメリットにはなりません。コンクールのささいな事務や運営面での疑問のあれこれについて、言葉を交し合える当事者の方がいれば、即、問題解決可能です。
ここで何よりも問われているのは親御様の大人としての成熟度です。
子供は純真ゆえ、本当は何も考えていないのですが、表面上何を考えているのかわからない不気味さを漂わせてしまいます。お相手のお子様が嫌な目付きでわが子を一瞥。わが子も何も考えず、その一瞥に反射的ににらみ返す。他意はまったくありませんが、雰囲気がよろしくありません。そこをうまく和ませるのが親御様の役割です。
「まあ、そのドレス素敵ですね。 お手製でいらっしゃいますか?」と笑顔でお相手のお母様に話しかけてみましょう。
- [2005/12/27 23:54]
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思い当たるフシアワセ(10)静寂のコンクール
自分だけが拍手すると目立つからやめた。静寂のコンクール予選。
毎コン東京大会の予選・本選では、演奏前後の拍手はごく自然に起こります。
もちろん拍手とは裏腹に、客席に渦巻いている情念(?)はいかばかりか、とも思いますが、ともかく演奏者への激励とねぎらいの意思表示が自然とわき起こるのは気持ちがいいものです。
しかしながら、すべてのコンクールがこのような状況であるわけではありません。観客席にコンテスタントとその家族しかいないようなコンクールでは、ちょっと嫌な雰囲気になることがあります。
演奏者が舞台に出てきて、伴奏者と共に一礼したのに、拍手がパラパラとしかこない。このパラパラ状態は、拍手をした人に、次のような感想を与えます。「私だけ拍手していると、なんとなく目立つ。」 「家族でもないのに拍手するのは変かな。」
やがて、演奏順が進んでいくにつれ、拍手をする人が1人減り、2人減りパラパラがハラハラに、そして、ヘリヘリに・・・ やがて演奏前の拍手はなくなってしまいます。そして演奏後に送られる拍手もそれと共に、少なくなっていきます。最後は、拍手しているのは1〜2人。つまり付き添いの家族のみという状況になってしまいます。
それも、なぜか周囲の静寂に思いっきり気兼ねして、まるで内緒話のようなコソコソとした拍手が聞こえる程度。「何となく目立つ」という客席全体の消極的な気分から作り出された拍手のない空間。かわいそうなのは、舞台上で必死に頑張っている演奏者です。
これでは、「コンクールは演奏会ではなく厳粛な審査の場。拍手はむしろしないほうが、普通なのだ。」と状況を正当化するような人が出てくることにもなりかねません。
拍手を忌避するような雰囲気のあるコンクールでは、ぜひ、目立つような大きな拍手を送るようにしましょう。つられて拍手する人は必ずいます。コンテスタントが実力を発揮するための暖かい雰囲気作りは、客席の側の仕事ではないかと思います。
毎コン東京大会の予選・本選では、演奏前後の拍手はごく自然に起こります。
もちろん拍手とは裏腹に、客席に渦巻いている情念(?)はいかばかりか、とも思いますが、ともかく演奏者への激励とねぎらいの意思表示が自然とわき起こるのは気持ちがいいものです。
しかしながら、すべてのコンクールがこのような状況であるわけではありません。観客席にコンテスタントとその家族しかいないようなコンクールでは、ちょっと嫌な雰囲気になることがあります。
演奏者が舞台に出てきて、伴奏者と共に一礼したのに、拍手がパラパラとしかこない。このパラパラ状態は、拍手をした人に、次のような感想を与えます。「私だけ拍手していると、なんとなく目立つ。」 「家族でもないのに拍手するのは変かな。」
やがて、演奏順が進んでいくにつれ、拍手をする人が1人減り、2人減りパラパラがハラハラに、そして、ヘリヘリに・・・ やがて演奏前の拍手はなくなってしまいます。そして演奏後に送られる拍手もそれと共に、少なくなっていきます。最後は、拍手しているのは1〜2人。つまり付き添いの家族のみという状況になってしまいます。
それも、なぜか周囲の静寂に思いっきり気兼ねして、まるで内緒話のようなコソコソとした拍手が聞こえる程度。「何となく目立つ」という客席全体の消極的な気分から作り出された拍手のない空間。かわいそうなのは、舞台上で必死に頑張っている演奏者です。
これでは、「コンクールは演奏会ではなく厳粛な審査の場。拍手はむしろしないほうが、普通なのだ。」と状況を正当化するような人が出てくることにもなりかねません。
拍手を忌避するような雰囲気のあるコンクールでは、ぜひ、目立つような大きな拍手を送るようにしましょう。つられて拍手する人は必ずいます。コンテスタントが実力を発揮するための暖かい雰囲気作りは、客席の側の仕事ではないかと思います。
- [2005/12/25 00:12]
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思い当たるフシアワセ(9)実質練習時間5分
練習時間120分。うち、実際に弾いてる時間5分。
エチュードでも曲でも、お子様が練習しはじめるやいなや、お母様の感情はいきなり沸点に。
おやじの頭にやかんを載せても、沸騰するまでには少し時間があるはずですが、ヴァイオリンのおけいこの場合はそうはいきません。
一気に、やかんのふたが怒気で吹っ飛んでしまいます。一音出しただけで、その音程、発音、音色、左手の位置と形、ヴィブラート、右手の弓の位置・圧力・速さ。呼吸、立ち方、姿勢、構え方・・・。たった一音で、数十ものチェックポイントが現れてきます。
それらのどのポイントができていて、できていないか。これを瞬時に判断して、適切な指示を与え、矯正していく。しかし、その場で指示を与えて、矯正しても、すぐには出来ない。
お子様のレッスンに真剣に取り組む親御様にとって、真剣であればあるほどわが子の出来とのギャップの大きさに絶望感は隠せません。
結果、120分練習時間があったとしても、お子様が弾いていた実質の時間はたったの5分。後は、アドバイス、注意、説教、叱責。やがてお子様が泣き、そのひと言を発端に、いさかいが大バトルに発展・・・。
長いおけいこ道。苦しいことのほうが多いのですが、いつもこの繰り返しが続き、実質の練習時間がトータルで完全に不足するという事態にもなりかねません。
2〜3年経って、それが現実のものとなってきます。「この2〜3年、ずっと言い続けてきたのに、上達しなかったのはあなたの努力が足りなかったせい。」「結局、才能がなかった。」・・・。
怒るのは簡単です。それをこらえて、地道な努力をさせることはとても難しい。その難しさに真正面から取り組むことにこそ、上達の秘訣があるのかもしれません。
ヴァイオリンは根性や負けん気だけではどうにもならない技能の世界です。職人が地道な努力の継続で、技を身につけていく。そういったプロセスをこそ本道と考えるべきではないでしょうか。
エチュードでも曲でも、お子様が練習しはじめるやいなや、お母様の感情はいきなり沸点に。
おやじの頭にやかんを載せても、沸騰するまでには少し時間があるはずですが、ヴァイオリンのおけいこの場合はそうはいきません。
一気に、やかんのふたが怒気で吹っ飛んでしまいます。一音出しただけで、その音程、発音、音色、左手の位置と形、ヴィブラート、右手の弓の位置・圧力・速さ。呼吸、立ち方、姿勢、構え方・・・。たった一音で、数十ものチェックポイントが現れてきます。
それらのどのポイントができていて、できていないか。これを瞬時に判断して、適切な指示を与え、矯正していく。しかし、その場で指示を与えて、矯正しても、すぐには出来ない。
お子様のレッスンに真剣に取り組む親御様にとって、真剣であればあるほどわが子の出来とのギャップの大きさに絶望感は隠せません。
結果、120分練習時間があったとしても、お子様が弾いていた実質の時間はたったの5分。後は、アドバイス、注意、説教、叱責。やがてお子様が泣き、そのひと言を発端に、いさかいが大バトルに発展・・・。
長いおけいこ道。苦しいことのほうが多いのですが、いつもこの繰り返しが続き、実質の練習時間がトータルで完全に不足するという事態にもなりかねません。
2〜3年経って、それが現実のものとなってきます。「この2〜3年、ずっと言い続けてきたのに、上達しなかったのはあなたの努力が足りなかったせい。」「結局、才能がなかった。」・・・。
怒るのは簡単です。それをこらえて、地道な努力をさせることはとても難しい。その難しさに真正面から取り組むことにこそ、上達の秘訣があるのかもしれません。
ヴァイオリンは根性や負けん気だけではどうにもならない技能の世界です。職人が地道な努力の継続で、技を身につけていく。そういったプロセスをこそ本道と考えるべきではないでしょうか。
- [2005/12/24 00:39]
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思い当たるフシアワセ(8)進度
指板シールが取れないストレスは、オムツが取れないストレスに似ている。
幼くて、ヴァイオリンを習いたての場合に、指板に弦を押さえるポイントを示すシールを貼ることがあります。
やがて音感がついてきたら、このシールをはがすことになります。しかし、それには、個人差があります。こういったシールを貼ることが常態化している門下では、誰がシールが取れた、うちはまだだ、あそこはもうすぐだ、とまるで、子育てにおける公園ママの「オムツ取れた・取れない」論議にだんだんと似てきます。
さらに言えば、シール貼りは、弓にまで及ぶこともあります。「弓をここまで使いなさいシール」がそれです。
シールが取れる、取れない。オムツが取れる、取れない。ヴァイオリンのおけいこでも、子育てでも、わかり安い尺度での進度の比べっこが起こりがちです。
確かに教育というのは進度も重要ですが、もっと重要なのはその中身のはずです。
「うちはまだ、ザイツなのに、A君はもうエックレスのソナタ・・・」。
年齢が少し上がってきて、曲の進度の比較が始まると、事態はより深刻となってきます。
これから小学生、中学生、高校生・・・とヴァイオリンを習っていく中で、最初の数年の曲の進度の違いが、どれほどの意味を持つのでしょうか。
小学校低学年で易々と弾けたかに思えたヘンデルのソナタ。しかし本当にこの曲を究めて弾くのは、優秀な音大生でも難しいもの。
音階もあるし、エチュードもある。
単なる曲の進度を気にしないことこそが、実は真の上達の早道なのかもしれません。
幼くて、ヴァイオリンを習いたての場合に、指板に弦を押さえるポイントを示すシールを貼ることがあります。
やがて音感がついてきたら、このシールをはがすことになります。しかし、それには、個人差があります。こういったシールを貼ることが常態化している門下では、誰がシールが取れた、うちはまだだ、あそこはもうすぐだ、とまるで、子育てにおける公園ママの「オムツ取れた・取れない」論議にだんだんと似てきます。
さらに言えば、シール貼りは、弓にまで及ぶこともあります。「弓をここまで使いなさいシール」がそれです。
シールが取れる、取れない。オムツが取れる、取れない。ヴァイオリンのおけいこでも、子育てでも、わかり安い尺度での進度の比べっこが起こりがちです。
確かに教育というのは進度も重要ですが、もっと重要なのはその中身のはずです。
「うちはまだ、ザイツなのに、A君はもうエックレスのソナタ・・・」。
年齢が少し上がってきて、曲の進度の比較が始まると、事態はより深刻となってきます。
これから小学生、中学生、高校生・・・とヴァイオリンを習っていく中で、最初の数年の曲の進度の違いが、どれほどの意味を持つのでしょうか。
小学校低学年で易々と弾けたかに思えたヘンデルのソナタ。しかし本当にこの曲を究めて弾くのは、優秀な音大生でも難しいもの。
音階もあるし、エチュードもある。
単なる曲の進度を気にしないことこそが、実は真の上達の早道なのかもしれません。
- [2005/12/20 00:22]
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思い当たるフシアワセ(7)コンクールの効用
宝くじもコンクールも、発表直前は「もしかしたら・・・」
「億」が当たる確率など考えるのもばからしいのに、宝くじを買ってしまう。そして当選番号発表の瞬間を「もしかしたら・・・」と心待ちにしている。
宝くじの効用は、ひとときシアワセを射止めようとしている時間を持てる心地よさにあります。
一方、コンクールは本来、実力勝負の世界。しかし、どう考えても入賞は無理と思われるのに、発表があるまでは「もしかしたら」と、期待をもってしまう。発表まで、一縷の望みをもち、それを実感できる。
緊張感と裏腹のそのような実感が持てるのは、コンクールの効用と考えましょう。相対的な実力の優劣はともかく、皆、それぞれに努力してきた成果を発表し、その評価を待つ瞬間は充実しているはずです。
どのようなコンクールも入賞者は限られていますし、1位は原則1人しか選ばれません。コンクールで入賞することを目的、あるいは使命とできるような実力者などは限られています。
これまでの成果を発表するという達成感が得られ、「もしかしたら」の射幸心の時間がひととき持てることをコンクールのすべてと考える位の余裕で、どんどんコンクールを受けていく。
その心境に立ってはじめて、コンクールは結果ではなく、それへ向けての努力のプロセスなのだという真理に思い至ることができるはずです。
「億」が当たる確率など考えるのもばからしいのに、宝くじを買ってしまう。そして当選番号発表の瞬間を「もしかしたら・・・」と心待ちにしている。
宝くじの効用は、ひとときシアワセを射止めようとしている時間を持てる心地よさにあります。
一方、コンクールは本来、実力勝負の世界。しかし、どう考えても入賞は無理と思われるのに、発表があるまでは「もしかしたら」と、期待をもってしまう。発表まで、一縷の望みをもち、それを実感できる。
緊張感と裏腹のそのような実感が持てるのは、コンクールの効用と考えましょう。相対的な実力の優劣はともかく、皆、それぞれに努力してきた成果を発表し、その評価を待つ瞬間は充実しているはずです。
どのようなコンクールも入賞者は限られていますし、1位は原則1人しか選ばれません。コンクールで入賞することを目的、あるいは使命とできるような実力者などは限られています。
これまでの成果を発表するという達成感が得られ、「もしかしたら」の射幸心の時間がひととき持てることをコンクールのすべてと考える位の余裕で、どんどんコンクールを受けていく。
その心境に立ってはじめて、コンクールは結果ではなく、それへ向けての努力のプロセスなのだという真理に思い至ることができるはずです。
- [2005/12/17 00:12]
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