「第62回全日本学生音楽コンクール」−モーツァルトについて(3) 

「コンクールでは、ハーモニー感、フレーズ感、響きが今ひとつでも、ダイナミックスがあり、安定した音色(音色の変化が無いという意味で)による演奏であれば、どうやら審査員受けするのではないか、というような印象を持つことがあります。本文中の「曲が流れない」というのはそういう意味合いではないかと推察いたしましたが、いかがでしょうか?

上記のような一小節一小節積み上げていくような(拍が見えるような)演奏は、塗り絵かハンコのように感じられ、あまり心に響いてきません。そのような演奏でも入賞する場合があるのを目にして、日本のクラシック界ってこんなもんなのかなあ、と、がっかりすることがあります。ちなみに、私個人は音楽を専門に勉強した経験はありません。

しかし、学生音コンは技術習得途上の子供たちがトライする訳ですから、ある程度はそれも仕方ない面もあるのかもしれない、と納得していましたが、日本音楽コンクールにおいてもやはり評価基準はさほど変わらないような印象を持っています。

もちろん、コンクールですから、いくら音楽性や感性のある奏者であっても、ミスが重なったり、練習不足が見えたりしてしまうと減点されるのは仕方が無いのは理解できます。でも、わが子が才能のかけらを見せ始めることが将来あるなら、とっとと島国から抜け出させたい、なんて思う昨今です。

モーツアルトだけでなく、どんな曲でも音楽は流れて欲しいですし、私たちの胸に語りかける演奏を聴きたいです。そういう指導をして下さる先生に巡り合いたいと思い、また、そういう演奏が評価されるようになって欲しいと願っています。 」


コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://vivaviolin.blog37.fc2.com/tb.php/1324-0a8b8b81